歯科診療と山登りをつづります。
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http://kubotashika.blog.shinobi.jp/Entry/244/ で触れた16、17世紀のイタリア政治史
1494年、フランスがイタリアに侵入すると,神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家)・スペイン王家などが対抗し、イタリア戦争が起こりました。 イタリア戦争はやがて、神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世との間のヨーロッパの覇権争いに発展し、イギリスなどをまきこみながら、16世紀の半ばまで続きました。 カラヴァッジョの時代のイタリアは2つの強国が戦うところであったのです。 イタリア戦争以後は戦争は長期化、大規模化し、兵器も小銃と大砲を大量に使用するようになりました。それで多くの兵員と莫大な戦費を調達するために、各国は徴税機構を中心に行政機構を整備し、国内の統一的な支配を強めました。 この過程で多くの国は、自己の支配領域を明確な国境で囲い込み、外に対して君主のみが国を代表する国内秩序を築くようになりました。 こうした国家を主権国家といい、近代国家の原型になりました。スペイン、フランス イギリスでは主権国家の形成期に絶対王政とよばれる強力な国王統治体制がうまれました。 カラヴァッジョの時代のイタリアは教皇の権威権力が強く、小国分立で主権国家になれず、絶対王政もうまれなかったのです。 歴史的に徴税機構が国家の背骨、中心です。 またそれは戦争とともに発達していきました。 参考になったら PR |
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